趣味のカメラを仕事に。いさおのプロフィール

いさおって誰?何してる人?

フリーのカメラマン、投資家、ブロガー。
1990年 福岡生まれの28歳。現在は東京で彼女と同棲中。

未経験から個人事業主としてカメラマンになったものの、まだまだひよっこ。
ワンちゃんの撮影をメインとするドッグフォトグラファー。

それと同時に株の個人投資家であり、主なトレード方法はスイングトレード。

うつ病を患った経験から、自分や他人の「心」について考えることが多くなる。
このブログのタイトル「心穏やかに暮らしたい」は、そんな気持ちの表れ。

ここでは主に、日々の生活で得た「気づき」を共有していきます。

「普通」になりたかった僕の生い立ち

これまでの人生を振り返ってみると、僕は「普通」になろうとして、欠点を補うことや劣等感を常に意識して生きてきました。

逃げ出した剣道少年

僕は小学3年生の頃に、剣道を始めました。
キッカケはよく覚えていないのですが、僕の父も、父方の祖父も剣道をしていたので、きっとそれが普通だと思っていたのでしょう。

僕が通っている小学校には剣道クラブがなかったので、毎週水曜日と金曜日の稽古の日は、親の運転する車で剣道クラブのある隣の小学校まで送ってもらっていました。
稽古は面白さと面倒くささが半々といった具合で、「せっかく始めたんだから続けよう」という気持ちだけでずっと通っていました。

そのまま中学、高校と続けて剣道部に入部。
その頃には、「せっかくだから」という気持ちは「僕にはこれしかないから」という気持ちに変わりつつありました。
もちろん楽しいことも沢山あったのですが、心の底から好きで剣道をやっていたかと聞かれると、胸を張って答えられない自分がいます。

そんな中、僕は高校2年生になるという中途半端な時期に剣道部を退部することになりました。
理由は、同学年の剣道部員が、僕を除いて全員辞めてしまったからです。

不仲だったわけではなく、それぞれ持病や家庭の事情などがあっての退部です。
先輩たちとも仲は良かったのですが、これから後輩も入ってきて、いずれ先輩も卒業してしまう。
そんな中1人で部を引っ張っていくという自信が、僕には無かったのです。

この、僕が自分で唯一の取り柄だと思っていた部分を捨て去るという選択は、その後の性格に大きく影響しているように思います。

やる気のないバンドマンから意識高い系へ

その後、先輩の目を避けるように暮らした高校を卒業した僕は、福岡大学の経済学部に進学しました。

ずっと剣道部員として短髪で過ごしてきた僕はどんどん髪を伸ばし、もともと音楽を聴くのが好きだったこともあって、100人規模のバンドサークルに入部
特に理由もなく、「なんとなくかっこいいから」というだけでギターを始め、サークル内で気の合う仲間を見つけてバンドを組みました。

しかし、類は友を呼ぶという言葉の通りなのか、僕も含めてバンドメンバーはみんな根暗。
いつもワイワイと盛り上がっているサークルの部室にはあまり近寄らず、学校から近いメンバーの家でゲームをしたり、酒を飲んだり、映画を見てばかりいました。

就職を考える時期になった大学3年生の頃、「このままではマズイ」と思った僕は、気の合う人たちと学生団体を立ち上げたり、異業種交流会やビジネスセミナーに積極的に参加するようになっていったんですね。

そうして多くの人達と交流し自己分析を繰り返していく中で、僕はSNSや業務効率化ツールを頻繁に使うようになり、徐々に「自分はもしかしたらITに強いのではないか」と思うようになりました。

いざ就活の時期を迎えると、僕は経済学部なのに銀行などは受けず、IT系の企業の営業部だけにターゲットを絞ってエントリーしていきました。

なぜ営業部かというと、

  • IT系に行きたいといっても、工学やプログラミングの知識が皆無
  • 根暗な自分に足りないものは人間力。その欠点を補うには敢えて不向きそうな営業部で鍛える

という2つの理由があります。

そして受かったWeb・アプリ制作の会社の新卒営業マンとして、僕は単身上京することになりました。

決して甘くない新規営業、そしてカメラとの出会い

上京して心機一転頑張ろうと思っていた僕の心は、その環境に適応できず、徐々にすさんでいきました。

毎日100件近く電話をかけては断られ、そこからアポが切れて訪問しては断られ、200万円の商材を売るために奔走する日々。
同期が徐々に成果を上げていく中、鳴かず飛ばずの1年間。
得たものは劣等感と、死んだ魚の目

それでも続けられたのは、同期や先輩の支えがあったからでした。

そしてそのころ、会社の決起会でのBBQで出会ったのが、先輩に触らせてもらった一眼レフカメラです。
これまで携帯のカメラしかまともに使ったことのない僕にとって、その出会いは衝撃的でした。

持った時の手に吸い付くあの感じ、スマホのカメラでは出せない美しい背景ボケ。
一瞬で虜になってしまい、死んだ魚の目に光が戻りました(笑)

その後、結局営業としては大した成果を残せず、既存顧客のサポート部隊に異動したのですが、その仕事内容が自分に合っていたことと、新たな趣味に出会ったことで少しずつ前向きに仕事に取り組めるようになっていきました。

そして、金曜日に遠方のアポが切れたら、その日は自前でネットカフェで一泊し、翌日土曜日はカメラ片手に観光をして周りました。
スーツ姿で群馬の藪塚石切場跡に行ったときは、さすがに不審そうな目で見られましたね。

※以下はその際の写真

映像会社に転職、うつ病になる

結果的に、その新卒で入社した会社には3年間勤めて、クリエイティブな仕事に興味を持った僕は映像会社に転職しました。

その会社は、なんと前職のアプリを購入していたお客様。
サポートとして訪問するうちに、社長の人柄に惹かれて転職を決めました。

グループ全体で社員600人の会社から、たった3人の会社への転職。
周囲から不思議に思われたりもしましたが、「面白そうだしやってみたい!」という気持ちが強かったのです。

また未経験からのスタートということもあり、新しいことをどんどん吸収しようと必死に頑張っていましたが、勤めて2年目に入ったあたりから、再びあの劣等感と似た感覚を覚えるようになりました。

「頑張って企画を考えても、いつまで経っても稚拙なままだ」
「人に指示を出せるほど自分に自信がない」
「先輩や社長の足を引っ張っているのではないか?」
そんな事ばかりを考えるようになりました。

そして2018年の頭のこと。ある出来事が、僕の精神に致命的なダメージを与えました。

それはイベントの仕事でのこと。
客席後方のスタッフ卓にて、進行に合わせてスクリーンに映像を出す係をしていたのですが、大事な場面でメインPCがフリーズし、進行が止まってしまいました。

普段ならすぐにバックアップのPCに切り替えられるようにしているのですが、そちらはちょうどそのタイミングで休憩時間後の再生リストの確認をしており、すぐに切り替えることができなかったのです。

「これまで4日もリハを続けてきて1回もフリーズしなかったし、大丈夫だろう」と甘い判断をした結果、最悪のタイミングでそれは起きてしまいました。

進行が止まって静まり返ったあと、少しずつザワつき始める会場。
インカムから聞こえてくる現場監督の「どうなってるんだ!?」の声。
完全に頭が真っ白になり、冷や汗が滴りました。

その後、なんとか復旧して進めることができたのですが、「人に迷惑をかけたくない」という思いが強い僕にとって、その出来事による精神的苦痛は計り知れないものでした。

それ以降、同じようなイベントの現場に出るたびに頭痛や吐き気を催すようになって、本番には一度トイレで吐いてから臨むようになり、リハから本番までの数日間はウイダーinゼリーだけで過ごすことが普通になってしまいました。

これは流石にマズいと思い、初めて心療内科で診察してもらったところ、案の定「うつ病」と診断。

しかし、少人数でやっている会社なのでスケジュールに穴を空けるわけにもいかず、毎日精神安定剤を飲みながら働く。
そんな状態が半年近く続きました。

3ヶ月間の休職を経て退職

うつ病であることを周りに隠しながら働いていたところ、小さなミスも増えてきたこともあり、明らかに様子がおかしいと気づいた社長に問いただされました。

そこで初めて鬱病であることや精神安定剤を飲んでいることをカミングアウトし、その後数日経ってから、3ヶ月間の休職を頂くことになりました。

最初の1ヶ月間は、とにかく寝てばかりいました。
うつ病というものは、働く活力だけでなく遊ぶ活力すらも奪っていきます。
常に不安感が付きまとい、丸一日ベッドの上で過ごすことも多かったです。

しかし休職2ヶ月目に入ると、寝ていることにも飽きてきて、読書や写真を撮ることを楽しめるようになっていきました。
もともと写真を撮ったり詩を書いたりといった創作活動が好きなので、毎日好きに時間を使えるという環境はとても楽しかったです。

ただ休職3ヶ月目になると、「あと1ヶ月したら仕事に戻らないといけない」という焦りが出始め、また落ち込むことが増えていきました。

「このまま会社に戻って、やっていけるのだろうか?」
「また体調を崩すのではないか?」
「じゃあ自分は一体どうしたいんだ?」
毎日そんなことばかり考えていました。

色々悩んだ結果、そのまま仕事に復帰せずに退職することにしました。

しかし、その時点では今後のビジョンは一切見えておらず、仕事から逃げるように去っていくことになりました。

それが2018年12月のことです。

いさお、個人事業主になる

この文章を書いているのは2019年の1月25日。
つまり現在、退職してからまだ1ヶ月です。

今後の人生を考え、再び就職活動をするという選択肢も検討しましたが、「なんか違うな」と思ったのです。

ここ数年、必死に悩んで自己分析を続けてきた結果、自分は正社員という働き方に向いていないんじゃないかという結論に至りました。

となると選択肢としては、契約社員か個人事業主。
カメラを使った仕事を諦めたくなかった僕は、右も左もわからないまま個人事業主としてフリーのカメラマンという道を選びました。

様々なSNSやクラウドソーシングなどのサービスが発達してきた昨今。
以前よりもフリーランスとしての生き方のハードルが下がってきているのではないかと感じています。

なぜカメラ・投資・ブログの3つを重視するのか

全ての根底には、「心穏やかに暮らしたい」という思いがあります。

カメラは、やはり触っていて楽しく、作品作りを通して自分の気持ちと向き合える気がするから。
そしてお客様との直接的なコミュニケーションも多く、かつ喜んでもらえるから。

投資は、もしも怪我や病気で働けなくなったとしても、お金を動かす知識やスキルがあれば稼ぐことができるから。つまりはリスクヘッジです。

そしてブログ。自分の考えをまとめて、個人でも発信することができるから。
また、同じような価値観の人達と出会うことができるから。

今はこの3つに注力していますが、他にも面白そうなものを見つけたら、なんでもやってみたいと思っています。

いさおのTwitter

こんな僕ですが、もし興味を持っていただけたら、Twitterのアカウントをフォローしていただけると幸いです。

一応FacebookとInstagramもやっているのですが、現状Twitterがメインで、あまり稼働していません。

さて、思った以上に長くなりました。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

以上です。